CHAPTER 013

『叫びとささやき』とバッハ無伴奏チェロ組曲第五番

かつてフランス人の友人が求職中だったときに、しばらく同居したことがある。映画や音楽の話もよくしたが、特に映画の趣味があわなかった。「トリュフォーにフェリーニ?あんなつまらない監督が好きなの?やっぱ映画は楽しくなくちゃ。新しいスパイダーマンが楽しみだぜ!」とか言われた。(ちなみに彼は日本語が堪能なもんで、ほとんど日本語で会話している。本当に上記のような言い方をしていた)そんなある日、仕事もなかなか見つからず暇だったのだろう、私の所有している映画のDVDを見たらしい。「どうせつまらないだろう、と思ってみたけど、意外と面白かった」と言われた。それはイングマール•ベルイマンの『沈黙』という作品だった。

 

 

『沈黙』もそうだが、ベルイマンは家族の関係性を描くことが多い。そして登場人物も少なく、場面も家の中ばかりだったり、舞台劇らしい映画とも言える。で、ここまで話しておいて取り上げるのは『沈黙』ではなく、『叫びとささやき』という作品。(『沈黙』も『野いちご』もそのうち書きます、きっと)

 

 

『叫びとささやき』の舞台は三姉妹の次女が暮らす大きな館だ。彼女は世話をしてくれる侍女と執事と暮らしているが、末期ガンでまもなく臨終の時を迎えようとしている。長女と三女がお見舞いにくるも、その二人は実はお互いに不満を持っているし、相手がパートナー(夫、家族)とうまくいっていないことも知っている。二人は病床の次女を心配しながら、よそよそしい会話を続ける。人間的にあわないのか、お互い歩み寄ろうとするも、どこか噛み合わない。各々思い出のような、妄想のような情景を思い浮かべる。物語の中盤、長女と三女が「さっきは言いすぎたわ。ごめんなさい。姉妹だもの、仲良くしましょう」などとハグする場面で流れるのがバッハ無伴奏チェロの5番、サラバンドだ。

 

 

バッハの無伴奏チェロ組曲の5番。無伴奏チェロのなかでもっとも暗く深淵なイメージを持つ組曲だ。たしかバッハが最初の妻を亡くした頃に作られたといわれる。一曲目はなんと7分を超える。暗い、深淵といったが最も宗教的、ということになるのかもしれない。(そもそもバッハで宗教的でないものも思いつかないけど)

 

 

ベルイマンはその中でもピエール•フルニエの演奏を選んだ。バッハ無伴奏といえばそりゃもうカザルスなんだけれど、フルニエもこれまた素晴らしい。チェリストでもない自分が言うのもなんだけど、決して「完璧な技術」というタイプではない。ある録画のなかで思いっきり音を間違えて「あ、いけね!」みたいな顔をしてどうにか弾き続けているものもある。でも気品というか染み渡るニュアンスが彼にしか出せないもので、本当に心がゆさぶられる。1音の迫力がどうとか、ヴィブラートが泣かせるとかでもなく、それほど派手さもなくて抑制された音色なんだけれど、暖かみもあって、すうっと自然に体に入ってくる感じがする。そんな雰囲気のチェロ奏者、私はフルニエしか思いつかない。

 

 

さて映画に話は戻る。次女が死を迎える直前、姉妹達はその姿に恐怖を覚えて離れていく。悲しむ彼女に寄り添ったのは他人である世話役の侍女だけであった。亡くなった後、家を去るときに残された姉妹にも距離ができている。もうお互いのあわないところを直視してしまったせいか、歩み寄ることもやめてしまい、明らかに姉妹の関係が破綻したことが見て取れる。

 

 

最後は次姉のまだ比較的に元気だった頃の日記の描写で終わる。それを救いととるか、切なさととるかは観る側の判断に委ねられている。

 

<姉妹二人が見舞いに来てくれた。気分がよかったので一緒に散歩する。ブランコに三人で交代しながら乗って(侍女に)ゆっくり揺らしてもらう。昔に戻ったみたいで楽しかった。最高に幸せ。もういつ死んでもいいと思えた。こんな人生を歩めたことを神に感謝したい>

SHARE