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『エントロピー』と音楽
トマス・ピンチョンの話から。元来ピンチョンって作家は誰とも会いたがらない作家で、写真も若い頃のものしかない。以前にもとりあげたサリンジャーにそのへんはとてもよく似ている。
そんな彼はとにかく難解な長編を書くことで有名だ。長いはともかく、何が難しいのか、説明するのも難しい。プルーストみたいに一文や表現が長い、でもないし、ドストエフスキーみたいに哲学的、とかそういうわけではない。ただ暗喩がやたらと多かったり、彼の専門分野である物理学っぽい話がつらつらと並べられたるする点が特徴なのかもしれない。おそらく文学作品を手に取るような人はいわゆる文系の人が多くて、理系の用語などには疎い人も多い。
それをまさしく逆手にとったようなものが『エントロピー』という作品だ。かつてアメリカの科学の学会かなにかで「理系と文系の知識分野は大きくかけ離れていて、文系の人達にエントロピー、と言葉を言ってもおそらく大半の人がわからない」ということを喋った学者がいたらしい。それにちなんで、つけられたタイトルが『エントロピー』。エネルギー保存の法則に関わる言葉らしいが、よくわからない。しかしこのタイトルのおかげで、エントロピーという言葉も有名になり、ピンチョン自身の代名詞のようにもなったらしい。この作品は、あるアパートの3階と4階、ある夫婦の部屋、若者達がマリファナを吸って過ごす部屋の描写を行ったり来たりしながら進められていく。
その中でジャズの話が繰り広げられる。ジェリー・マリガンの演奏聞いたか、とか、LOVE FOR SALEがどうだ、THESE FOOLISH THINGSがどうだ、とかそんな話。さらにはシンバルの音が大きい、とか、8小節イントロがある、とかそんな話まで。これまた音楽に疎い人によっては「ん?何の話だ?」となるかもしれない。作品の後半は音楽の話が文体にまで普及していき、3階4階も音楽用語でもあるクレッシェンド、ドミナント、トニック、ディミュニエンド、といった言葉を使って描写していく。こういうところもピンチョンらしいのかもしれない。
こういうとピンチョンはわざと多くの人がわからない言葉を使って小説を書いているだけみたいだけれど、そういうわけでもない。なんというか抑制された表現というべきか、その言い回しが実に憎い。『エントロピー』は『スローラーナー』という短編集に入っていて、昔の作品を振り返るピンチョン自身の序章がある。序章(スローラーナー)が短編集の中で一番読みやすいと思うのだが、その最後が実に彼らしい表現で締めくくられている。(過去の自分の作品に未熟さと、それなりのノスタルジーや愛着を感じることを認めた上で)「自分の過去に愛着を感じるのも、フランク・ザッパの言う、老人仲間が集まってロックンロールを奏でる、というやつの一例かもしれない」と述べる。そして続ける。「でもロックンロールが死ぬことはないだろうし、教育だって(ヘンリー・アダムスがよく言うように)永遠に続いていく」
誰でもそうだろうけど、何かと過去やいなくなった人や物などを思いだすとき、ちょっと寂しさみたいなものも感じるけれど、この表現には妙に元気づけられる気がした。
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