『ロリータ』。作者のナボコフ自身が「この作品を発表してから、私はこの作品の作者としてしか語られていない」と自嘲していたらしい。例えばロリコンという単語。かなり離れた年齢差の交際、結婚などがあるとすぐにロリコンという表現が出ている気がする。海外でも通用するようで、かつてフランスの友人と話していてもロリータコンプレックス(le complexe de Lolita)は通じた記憶がある。あとロリータファッション、とかね。すごいものだ。
ただし年齢差があればいいってものでもない。物語の設定通り、15歳前後の女性(もしくは、みえる女性)に欲情する男をそう呼ぶのではないかな。つまり『痴人の愛』のナオミは年齢の割に大人っぽく見える少女なのだから、ロリコンの話ではない。10歳以下くらいの少女に恋してアリスを作り上げたルイス•キャロルも…いや、あまり気持ちの良い話でもないのでこれ以上は追求しないでおく。
主人公のハンバート教授には、自分が10代の頃に付き合っていた女の子が亡くなり、その幻影を追いかけてしまう。ロリータとその母親(シングルマザー)と出会い、娘にひとめぼれ。その後母親と籍を入れ家族になるが、ロリータの母が事故死。大好きなロリータと二人きりで暮らすようになる。あらすじだけ書くとアブノーマルな性癖、性加害事件を思わせる展開ではあるんだけど、もちろんそんな単純に割りきれる話でもない。ただ性的な目で見るだけでもなく、家族、保護者としての愛情も一応あるし、ロリータはロリータで娘でもあり、ハンバートが自分に惚れていることを知っていて翻弄するところもある。
やがてロリータは若い男に連れられて失踪。数年後に必死になってみつけたとき、彼女は面白味のない別の男と暮らしているのを見てハンバートは失望する。ロリータはハンバートに結婚資金を要求する。ロリータの状況に納得がいかないのか、まだ彼女を愛しているからか、ハンバートは懇願する。「結婚資金は支払う。そのかわり短い期間で構わないし、いつでもいい。いつかまた自分と一緒に暮らしてくれないか?」
この物語、不条理というか、救いのない結末を迎えるのだが、それも含めてナボコフらしいと思う。ナボコフの作品は(ホラーという意味でなく)残酷な描写、結末のものが多い。ある種の徹底したリアリズムと言えるかもしれない。
さてこんな作品を映画にしたのが、これまた奇才のキューブリック。代表作とまでは言われないけれど一応キューブリックらしく、ある種のイメージを作りあげている。真っ赤なハート型のサングラスをかけたロリータの姿は印象的だ。テーマ曲を聞いてみたらキャッチーで物悲しさもある。お、いいじゃん、と思っていたら、二回目に聞いたときに気づいた。おそらくすごくラフマニノフを意識した曲。なるほど。そういえばラフマニノフもナボコフと同じくアメリカに亡命したロシア人であった。『ロリータ』を「歴史と知性のヨーロッパ(ハンバート教授)が若さと見かけだけのアメリカ(ロリータ)に翻弄されていく話」なんて評する声もあったらしいが、欧州と米国の止揚みたいな意味ではラフマニノフ的な曲はぴったりなのかもしれない。