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『存在の耐えられない軽さ』とヤナーチェクの小品
ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』この独特なタイトルも目を引く。
舞台はクンデラの出身であるチェコのプラハ。男前で優秀な医者であるトマーシュがカメラで仕事がしたいと思いつつ喫茶店で働く、テレザという女性と出会う。二人は恋におちて共に暮らすようになる。トマーシュは女遊びをやめることなく、テレザもそれに勘づきながらも生活を続ける。
トマーシュは女性をとっかえひっかえ遊んでいるのだが、サビナという女性とだけは長く付き合っていた。サビナは芸術家で彼女のほうも別にトマーシュ一人が相手というわけでもないし、彼一人に固執することもなかった。テレザはサビナと会い親しくなる。
ある日革命がおきる。プラハの春ということだろう。チェコ政権を批判していたトマーシュ、革命の現場を撮影していたテレザは居場所がなくなり、二人はスイスのチューリッヒへ亡命を果たす。サビナも別の国に亡命する。
亡命後も不倫をやめないトマーシュにテレザはいよいよ愛想をつかしてチェコに戻る。いなくなったテレザを追ってトマーシュも祖国に戻る。しかしかつて反乱分子と判断された二人に生活の保障はされていなかった。
時おり彼らと連絡をとっていたサビナはアメリカで暮らしていた。ある日彼女にに手紙が届く。田舎の村で雨の中、自動車の(おそらく整備不良の)事故でトマーシュ、テレザ共に亡くなった、と手紙には記されていた。
これで終わりだと、ただ暗いだけの話になるけど、ここまでで小説全体の約半分くらい。その後は彼ら二人が亡くなるまでの生活が描かれる。祖国に戻ったトマーシュは医師免許を剥奪され、二人はさびれた田舎で暮らす。トマーシュは肉体労働に従事する。(その後も色々あるけど、とくに最終章の『カレーニンの微笑』は佳作。飼い犬カレーニンの最期を二人で看とる場面は泣ける)やがて彼ら夫婦の亡くなる前日の夜が描かれる。
同じ労働をしている同僚が仕事中に大怪我をするが、トマーシュは医者だったもので最適な処置をしてみせる。それをテレザは眺めていた。その夜知り合いのパーティーに呼ばれていた二人は「今日はホテルに泊まりなさい。明日の朝に車で帰るといい」と主催の老人に言われる。二人は久々にダンスをしながらテレザが言う。「あなたは医者を続けるべきだったのよ。この国に戻ってこなければ続けられたのに」「君だって帰らなければ写真を続けられたね、おあいこだ」とトマーシュ。「私の写真とは価値が違うじゃない。やはりあなたは医者として働くのが使命だったと今日の姿を見てつくづく思った。私がずっとあなたのことを振り回している気がする」とテレザは落ち込む。「今の生活で僕がどれだけ幸せかわかってる?価値があるかどうかなんてくだらないし、僕に使命なんてない。あらゆる人間に使命や役目なんてないんだ」なんてトマーシュは返す。二人が予約してもらったホテルの部屋に入ったところで、ふっと小説は終わる。
その次の日の朝、雨の中の帰り道で事故にあったということになる。最後の夜に二人が心を通わせたことを救いとみるか、余計に痛ましいとみるかは読者の感じ方次第。この作品はストーリーももちろんだが、時おり挟まれるちょっとしたクンデラ自身のアフォリズムというか、哲学めいたコメントも面白い。
この作品は映画化されている。内容も一応原作にそっているし、テレザ役のジュリエット▪︎ビノシュがすごくチャーミングだ。そして音楽は同じチェコ出身のヤナーチェクの曲を中心としている。私はヤナーチェクの作品をそれほど知らないけれど、そのサウンドトラックで個人的に一番好きなのはGood nightというピアノ曲。ヤナーチェクは20世紀前半には他界しているのでこの小説や映画のために書いた曲ではないだろうが、まさにラストシーンに描かれた「夜」にふさわしいタイトルでもある。
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マタイ受難曲と『サクリファイス』
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