CHAPTER 010

All god's chillun got rhythmと『神の子供達はみな踊る』

”All God's Chillun got rhythm”というジャズスタンダード。Bud PowellやStéphane Grappelliの演奏が有名なんだと思う。chillunはchildrenの俗語、曲の題名は黒人霊歌の”All God's Chillun got Wings”をもじったものだと言われている。「神の子はみな翼をもつ」、なんだかオシャレでいいですね。

 

 

曲の出典はマルクス兄弟の喜劇映画『マルクス一番乗り』”A Day at the Races”。黒人の集落のパーティーで黒人女性がこの曲を高らかに歌う。そこにまぎれこんだマルクス兄弟達は黒人に扮して(現代では差別的表現として扱われるだろうな)悪人から逃げ回ったりする、いわゆるドタバタ喜劇だ。だからというわけでもないんだろうけど、曲として演奏するときもアップテンポであることが多い。この曲をスローで演奏することあるんだろうか、というくらい、アップテンポが根付いている気がする。そもそもBud PowellもGrappelliもテンポ速めでやる傾向が多いということもあるんだろうけど。

 

 

さてこの題名で小説を書いたのが村上春樹氏、その名も『神の子供達はみな踊る』。思えば彼は元々曲の題名を小説のタイトルにすることが多い。(ex:ノルウェーの森)この作品は1995年におきた阪神大震災とオウム真理教事件、地震と宗教を題材にした短編連作集とも言われており、「ふーん」くらいに思っていた。1995年は自分がちょうど中学生になったころで、阪神大震災では祖母の家も全壊したし、オウムの事件もしょっちゅうニュースになっていたものでどちらも多感な中学生にとって印象的な事柄であったが、手に取ることなく過ごしてきた。しかし最近「蛍・納屋を焼く」や「パン屋再襲撃」などたまたま読んだこともあり、(それこそこの題材にちょうどいい、と)この作品に手を伸ばすに至った。世の中、色々なことがきっかけになる。はいほー。

 

 

読んでみたところ「題材にした」というほどは震災も宗教も、関わっている作品とは思わなかった。作品の中にそれこそ私の祖母の家があった夙川という地名も出てくるし(そもそも筆者自身も夙川で暮らしていたはず)、地震の話などは度々出てくるものの、物語の背景として含まれている、という程度である。表題作となっている「神の子供達はみな踊る」が最も宗教に関わる話になっている。善也という青年の母親はある宗教団体に入会している。その母親は不思議なほど年を感じさせず、美貌のあまり多くの人を魅惑している。息子である善也をも欲情させるほどに。おそらく宗教が理由で離婚している母親は善也を「あなたの父親は神なんだよ」と育てる。母親がボランティア活動として関西に行っている間に(これまたはっきりとは書いていないが震災によるものだと考えられる)、たまたま自分の父親かもしれないと思った人を地下鉄で見つけて追う。追いながら様々なことを思い出す。母親の言葉、母と自分に優しく接してくれた教団のおじさん(故人)、大学時代に結婚をも考えた恋人、自分にとっての神。やがて知りもしない街の野球場までたどり着くも、追っていた男を見失う。善也はかつての恋人とよくダンスを踊っていたことを思い出し、マウンドの上で踊りたくなる。途中に出てくる「神が人を試せるのならば、なぜ人は神を試してはいけないのだろう」という問いは実に筆者らしい。

 

元来個人的に、時事にとびつくような小説には興味なく、だからこそ本作品も避けてきたのだが、決してそんな類のものではなかったしそれなりに楽しめた。彼の長篇よりも短篇の方がずっと印象に残る。村上さん特有の「おいおい」って展開はあるけど、それ含めて彼の世界なんだから。余談ながら、最後の「蜂蜜パイ」という作品が1番(良きも悪きも)村上春樹らしいものに感じられた。

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