レヴィ=ストロースの『構造•神話•労働』という講演集。日本に何度も足を運んだ文化人類学者の講演は著作よりもずっとわかりやすい。
フランスは美とエレガンスの国、なんてイメージは一笑に付すし、彼自身の日本人に対するイメージも面白い。しかしそんなイメージなど全てを含めて「誰もが偏見をもつし、思考は全てその偏見の影響を受けている。それを自覚することも民俗学の1つ」というのは実に奥深いと思う。みんな偏見は持ちたくない、と思いながらもやっぱり持ってしまっている。サイードの『オリエンタリズム』なんてのも、まさにこういうものなのではないか。
レヴィ=ストロースは日本の文明、芸術的感性を絶賛する。縄文時代、当時あれほど芸術的な土器を作っていた民族は世界中を見てもいない、と。ほほお、なるほどねえ。ただこれを聞いて「日本人のセンスはすごいんだ!」と盛り上がるのも「それに比べて今の日本のセンスは悪い!」と嘆くのも、一見逆のようで、すごく似ている気がする。ギブミーチョコレート精神、外国からの評価に右往左往してしまう意味でね。
ただ縄文土器の簡潔さと例えば谷崎潤一郎の言う「お椀の赤と黒の美しさが日本的」なんてのは通じる気もする。千利休がたくさんあるうち、朝顔を1つだけ飾った、とかそういうのも含めて、茶道なんかも似たような美学になるのかな。自分は不勉強で熟知できていないけど、Simplicité(簡潔性)というのはある意味日本的なのかもしれない。
まあそんなこと踏まえなくても、彼の日本に関する話はとても面白い。やはり神話や伝統は歴史学を軸とする文化人類学に大きく関わるようで、古都はもちろん、隠岐などにも足を運んでいる。古代の人が神話や風習を作り、それらが人々の心に根づき、新たな人間や時代を形成していく。その繰り返し。そういう意味では伝説も小説も劇もドラマや映画だって、ある種の現実の一部とも言える。歴史学や民俗学の範疇になるのかもしれないけど、ヴィーコやミシュレもそういうことを言っているような。
まあ堅い話はこのくらいにして音楽の話。レヴィ=ストロースと音楽について書くと本一冊くらいになりそうなんで(実際そんな本もたくさんある。彼はメシアンなど現代音楽家とも親しかった)、彼の好きなワグナーに絞る。ワグナーは好き嫌いはあるだろうけど、オペラを文学、哲学的であったり、より音楽的であったり、とにかく止揚させようとした音楽家の一人だ。自分は正直、オペラといえばアリアや序曲くらいにしか興味ないんだけれど、『タンホイザー序曲』はすごいエネルギーだと思う。ベートーベン第九、ブラームス一番、とは違う意味で、自分を激しく鼓舞したいときなんかに聞きたくなる。昔、ドラマの『白い巨塔』で財前教授が手術に向かう前に聞いていたけど気持ちはわかる。ベタなんだろうけど、カラヤンの指揮がおすすめです。