CHAPTER 017

『秋刀魚の味』と斎藤高順の音楽

『秋刀魚の味』、小津安二郎の遺作で季節的にもぴったりの題名。

 


笠智衆演じる平山が娘(岩下志麻)を嫁に出して寂しくなるだけの話、といえばそれまでだし、「あーいつもの小津映画ね」ってことになるんだろうけど、ところどころに差異がある。さて「いつもの小津映画」とも言うべき最初のモデルは『晩春』ということになるだろう。妻をなくした父親を心配して離れられない娘、しかし父親の方は無理にでも(嘘をついてまで!)娘を結婚させる。結婚した夜、一人家に戻り、ふとリンゴの皮をむいてみて、ため息をつく父親。まさに大傑作。小津安二郎は戦前•戦後ではなく、『晩春』前•後で考えることができる。

 


では『晩春』と『秋刀魚の味』どう違うのか。どちらも主人公が妻をなくしている点は同じだが、『秋刀魚の味』は一人娘でなく、すでに結婚している長男もいるし、高校生の次男もいる。長女はちょうどその二人の間の年頃だ。彼ら三人とも父親のことをそれなりに気遣っているし、次男は高校生なのだから一緒に暮らしている。それに時代背景も違うからか、娘も仕事をしているし、それなりに恋愛もしている。(石川台駅のホームで会話する岩下志麻のなんと可愛らしいことか!)最初のうちは「まだうちの娘は結婚には早いよ」などと言っているが、自分の恩師の姿を見たりするうちにやがて決心する。

 


長男夫婦は近所に住んでいるし、次男とは一緒に暮らしているけれど、やっぱり主人公は寂寥をおぼえる。「(結局みんな)一人ぼっちかぁ」などと酔っぱらってつぶやきながら。この「一人ぼっち」という言葉も作品の序盤からの伏線があって実に味わい深い。

 


小津安二郎の映画の音楽の担当といえば基本的には斎藤高順。シャンソンのÇa c'est Paris(サセパリ)をもじったサセレシアも有名だし、あるいは黛敏郎の『おはよう』のテーマなんかも素敵だけど、一番小津作品らしくて個人的に好きなのは『秋刀魚の味』のテーマ曲だ。それこそ『晩春』の頃から似たような音楽ではあるんだけど、この作品は一層に切ない感じと美しさが混じっていて、まさにこの作品にも添ったものになっている。

 


そういえば映画監督の吉田喜重氏が小津作品について「反復とズレ」という表現で語っている。似たような物語を繰り返すこともそうだし(そういえば『晩春』以後の作品の主人公の姓はたいてい平山だ)作品内で同じ動作ややりとりを繰り返すことで日常や時の経過をあらわすのもそうだろうけど、作品内の音楽も実はそういった形になっているのかもしれない。(ズレ、というのはたぶんドゥルーズの「差異」の概念の言い換えなんじゃないか、とも思う。学のある吉田さんのことだし)

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