CHAPTER 002

My foolish heart と「コネティカットのひょこひょこおじさん」

『ライ麦畑でつかまえて』で有名なJ.D.サリンジャー。彼の作品に『ナイン・ストーリーズ』という短編集がある。これは彼の書いてきた短編のうち、自ら9つを選んで出版されたものだ。その中の2つ目の作品「コネティカットのひょこひょこおじさん」は、かつてルームメートだった女性2人が久々に会う場面から始まる。エロイーズの家に遊びに来たメアリ・ジェーン、2人は昼間からお酒を飲みながら、(二人とも決して上品とは言えない口調で)昔話や共通の友人の話をする。

 

やがてエロイーズの娘ラモーナが登場。メアリは「大きくなったわねえ」などと喜ぶもラモーナはあまり愛想は良くない。ラモーナはいつも空想上の恋人ジミーと一緒にいることになっていて、その日も「ジミーが外行きたいと言ってるから出かける」と外に出かけてしまう。エロイーズも娘に手を焼いているようである。

 

その後エロイーズは太平洋戦争中の事故で亡くなってしまった昔の恋人ウォルトの話をする。ウォルトはエロイーズが転んで足首を痛めた時に「かわいそうなひょこひょこおじさん」と(おじさんのuncleと足首のankleを掛けた)冗談を言うとても面白い人だった、と。メアリはエロイーズに「ご主人のルーは冗談とか言わないの?」と問うと、彼は全く面白味もない。私がウォルトの話を少しした時も「彼の(軍人としての)階級は?」としか言わなかった、と返す。さらに「彼はジェイン・オースティンが好き、と結婚前に言っていたから気が合うと思ったけど、一冊も読んでなかった。くだらない本ばかり読んで社会的地位ばかり気にしている」などと悪口を続ける。

 

娘、夫など家族と明らかにうまくいっていないエロイーズはその後もメアリに喋り続ける。ウォルトとの楽しかった思い出、彼の不運な死因を話した後は余計に感情的になる。メアリが帰ろうとしても帰そうとしない。夫から電話で車で迎えにくるよう頼まれても「友人がきているから」と断る。メイドからの(いつもなら許しているであろう)お願いも却下する。ラモーナが帰宅していつものように空想上の恋人ジミーの話をしてもイライラと叱りつける。なんとか「早く寝なさい」とラモーナを寝かしつけると、ふと「かわいそうなひょこひょこおじさん」と繰り返し呟き涙を流す。

 

エロイーズは裕福であろうし、決して育児放棄をしているわけでもない。エロイーズのいう「かわいそうなひょこひょこおじさん」という言葉はウォルトを思い出してのことでもあるだろうし、自分自身のことでもある。現実の生活に満たされていないからこそ、空想にふける娘をあやしている自分がみじめで哀れに思えたのだろう。サリンジャー特有の都会で暮らす『ごく普通の、比較的若い人々』の中に潜む悩みや神経症、僅かな狂気が垣間見える作品となっている。

 

この作品の映画化が行われたのだが、その時の主題歌が今やジャズスタンダードになっているVictor Young作曲のMy Foolish Heartである。(特に日本では)何といってもビル・エヴァンストリオの演奏が有名だ。彼の代表作『Waltz For Debby』の1曲目、サックスや歌でも演奏されることも多いが、やはり多くの人が最初に思いつくのはエヴァンスのものだろう。なお一般的なジャズのセッションなどではBbのキーで演奏されることが多いが、エヴァンス自身は半音下のAのキーで演奏している。Waltz For Debbyの1曲目を再生するとスコット・ラファロの弾くベースの3弦、Aの開放弦が気持ちよく響く。(エヴァンスがベースを気にしてAのキーにしたかどうかはわからない。単純に彼が#系キーの響きが好きだからそれにした可能性の方が高いと思われる)

 

なお残念なことに映画の方は全く成功せず、サリンジャーも出来に不満で「ハリウッドには二度と作品を任せない」と映画から離れた。(サリンジャー自身ただでさえすごく気難しい人間なのもある)作品自体はサリンジャーの短編として評価も高いし、テーマ曲のMy foolish heartはジャズの歴史に残る名作として残っている。それに比べると映画は残念な出来なのかもしれないが、映画化の話がなければこの曲は生まれなかったかもしれない、と考えると、これまた縁や人の作るものは不思議なものだ。

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