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『燈籠』とMarc JohnsonによるLove theme from Spartacus
太宰治『燈籠』、すごく短い話で青空文庫でもなんでも読めるんでよかったらどうぞ。
太宰治の短編には<誤解>の要素が含まれるものがある。例えば『黄金風景』『メリイクリスマス』『親友交歓』、どれもユーモラスでもあり寂しくもある傑作だ。『眉山』なんかもそうか。そう考えると太宰文学には誤解や思い込みがついてまわっているのかもしれない。しかしご時世として、今後そんなものは減っていくかもね。人は誤解や思い込みをしないようこまめにAIに確認し、統計学的な意見を考慮するようになるんだろう。恋愛は美しい誤解、という誰かの言葉もあったけど、それもどうなることやら。
さて本題。この作品も誤解がまつわる作品になっている。主人公のさき子は水野という青年に一目ぼれする。ある日さき子は、水野が友人から海水浴に誘われたと困ったように話しているのを耳にする。母子家庭で貧しいであろう水野は水着をもっていないのでは?そんなことを考えてデパートにいくと、ふと男性用の水着を盗ってしまう。店員にバレて部屋につれていかれ「何度目だ?」などと問い詰められる。
やがて警察から釈放される。父親が迎えにきて「殴られたりはしなかったか?」とだけ聞き、その後は何も言わずに帰る。やがて水野から手紙が届く。「罪は憎むが、あなたのことを憎みはしない。今後はその罪をつぐないながら社会に貢献してください」などと書かれている。その手紙には先日に友人と海水浴に行き、今後の社会について議論したことも書かれている。水野は実際は裕福な育ちだった。貧しいのも困ったように話していたのも、さき子の思い込みであった。手紙の最後には、読み終わったら必ず封筒ごと燃やすように記されていた。
それからしばらく経ったある日の夜、両親と食事をとるさき子。父が暗くて気が滅入るから、と食卓の電球をかえる。母はまぶしい、まぶしい、と箸をもちながら手を額にかざして喜ぶ。さき子は父にお酌をしながら「私たちのしあわせは所詮こんなお部屋の電球をかえるくらいなものなんだ」と思う。でもそれを肯定し、誇りたいような気持ちでもって物語は終わる。
電球ではしゃぐ家族三人と「こんなものが幸せなのか」という虚しい思い、さらに自分達家族はこれでいいんだ、という喜びまでもが入り交じる、実に太宰さんらしいエンディングになっている。これをどう受けとるかは読者次第なんだろうけど、自分としてはハッピーエンドに感じる。気が滅入っているときにささやかな物で安堵を得る描写も憎いし、台詞も登場場面も少ないけどこの両親の温かみも良い。
音楽の話。家庭における電球ほどではないけど、「ささやかな」演奏について。前どこかに書いたかもしれないけど自分はベース奏者のくせに、ソロベースの音源はそれほど何度も聞かない。その中で珍しく、たまに聞いているのがMarc JohnsonのOverpassに収録されてるLove theme from Spartacusだ。本来は映画音楽でオーケストラでの曲だが、それをまさにベース一本だけで弾いている。元々綺麗な曲だけど、彼一人の演奏からは寂しさや繊細な部分もより強く感じることができた。これもミニマムな編成の強みなのかもしれない。
余談だけどこのOverpassというアルバムは他の曲もいいし、ジャケットがとても美しい。単純に色が好みというのもあるけど。興味ある方はぜひ画像もご覧ください。
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